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好きと得意は別の話というか別の次元。

【-33- 後の祭の夜(前編)|いくら水をやっても死んだ種から芽は出ない(14)】

 にぎやかだった文化祭の後片づけを終えて、今年も良い手応えがあったとしみじみ実感していた。

 もう文化祭は去年に経験済みだから、開催中に起こりうるトラブルを想定して自ずと先回りする形で回避した。と書けばカッコいいが正しくはそうではない。

 第31話に出てきた展開とほとんど同じなのだ。そういう意味では去年のマニュアル使えばいいからハプニングに弱いLDには非常に助かる。強いて違う所を言うなら、

◆夏の合宿で集めてきた砂金大量投入
(顧問部員総動員で灼熱の川に数時間捜索はキツかった)

◆アニメに強い部員による原画展示スペース
(正確には非営利目的で印刷した非営利レプリカ展示)

◆去年のスライム製作が今年は人工イクラ製作
(バイオテクノロジーみたいな言い方だが実際は着色したアルギン酸ナトリウムをスポイトで塩化カルシウム水溶液の中に垂らすと化学反応でイクラっぽく固まる超王道実験)

 ついでに人工イクラの作り方は……

『用意するもの』
◆空のペットボトル 500ml
◆スポイト
◆ビーカー
◆食紅(絵の具でもOK)
塩化カルシウム(薬局で手に入る)
◆アルギン酸ナトリウム(薬局で手に入る)

 この中から、

①.ペットボトルに水を半分入れ、アルギン酸ナトリウムを小さじ1~2杯加えて溶かす(3~4%アルギン酸ナトリウム水溶液が理想)。溶けにくいのでよく振って、洗剤のり程度の粘性あればOK。

②.①の溶液に食紅を加えて色をつける(絵の具でも構わないので好きな色で遊ぼう)。

③.塩化カルシウム10%の水溶液を作る。多少大雑把でも構わないが濃度が低いと固まらない。

④.スポイトで色つけたアルギン酸ナトリウム水溶液を塩化カルシウム水溶液の中に1滴ずつ垂らす。

⑤.イクラっぽい球状になったら実験成功!

※補足すると……天然イクラも人工イクラも、油球(中にある目玉っぽい黄身にあたる液体)、ゾル(中にあるそれ以外の白身にあたる液体)、ゲル(油とゾルを包む殻にあたる膜)の3重構造になっている。ゲルの作り方は上で学んだので、その中に天然イクラの液体を入れたら事実上の天然イクラとなる。ただし天然イクラはお湯に入れると表面が白濁する。わざわざ確認するには少々高いしもったいないので、お寿司屋でイクラ頼んだときに1~2粒お吸い物の中に入れてみるのがオススメだ。もし濁らなかったら月夜の晩に大将に狙われないことを祈る。なお、この補足は読んでも読まなくても本編に影響はない。

 要約すると「科学部の催し物は成功した」(きれいな一言だろ。ウソみたいだろ。要約したんだぜ。自分で書いといて…)。

 それが理由の1つと、別にもう1つあった。去年に比べて+αな環境に身を置いていたからだ。実は部活の掛け持ちで高2の前半から私は写真部に入部していた。科学部に比べると活動日は少なく、偶然にも日が被ることも少なかった。

 それに卒業した旧高3の先輩の中に写真部部長で掛け持ちしていた人がいたから顧問も部活仲間も承知の範囲内だった。

 ちなみに今回の入部には親友の杉下と同時に入った。その経緯は大変単純で、二人で昼休みに廊下を歩いていたときに英語の選択科目で教えてもらっている写真部の顧問からスカウトされた。スカウトといっても5人以上の部員集めで才能を見出されたとかでは一切ない。けど書道より写真に興味ある自分は「ほなやってみましょか」な軽いノリでその日の晩に家族の承諾もらって入部した。隣の杉下も帰宅部以外は似たような経緯である。

 ちなみに秋の文化祭は美術部・書道部・写真部の3つが毎年合同で展覧会を開催して各部員は番号付いた作品を出展する。

 観覧にきたお客は受付でアンケート紙を渡されて、作品を見ながら自分が良いと思った作品を各部門3つずつ選んで帰りに受付の箱に投票する。ポイントが高かった各部門の上位3名が次回の朝礼で賞状が貰える仕組みだ。

 この年は地元の水族館で展示されていた3方向の照明で赤く透けたミズクラゲの写真と、近所の公園で自分の自転車と土手と池と雲の小津安二郎を彷彿させるシンメトリカル構図によるロー・ポジションからの正面アングル写真(解説:今考えた)と、エトセトラ(別名:もう忘れた)数枚で出展した。

 結果から言うとミズクラゲで金賞を受賞した(勉強と運動以外なら割と早くエリートになれる)。そしてミズクラゲは次の展覧会まで図書室前の廊下に1年間展示された。ただ、褒められる環境に反して内心は複雑だった。実はこの1枚だけは入部に勢い込んで買ったデジカメ(800万画素)のではなく、水族館一通り撮り終わったついでに撮った携帯電話のカメラ(195万画素)のだった。

 みんなが本気のカメラで本気で挑戦していて、自分もまた本気で挑んでいたのに面目が立たない…。

 隣の銀賞と銅賞が一段とカッコ良く見えた。

     〇

 校庭の落葉が落陽の光彩に染まる頃、理系志望なのに期末試験の数学Bで赤点ギリギリを取ってしまった。

 この3ヶ月間で算数ドリル(小2)から何とか数学白チャートⅡB(高2)まで少々駆け足で追いついてきたものの、数列の公式がややこしくて覚えれなかった(告白すると未だに探り探りで式書いては覚え直している)。でも内心点加算で追試と補習は免れた。

     〇

 秋の深まりが雪の深まりに変わる頃、母が持病悪化による腫瘍の切除手術と入院の関係で10日間ほど家を空けることになった。もう冬休みに入った手術当日の夕方には父と一緒に談話室みたいな所で無事に終了したと執刀医から報告を受けた。ついでに「切除した部位見ますか?」と訊ねられたが父子で「見たくない」と断った。さすがに気持ち悪いし。

「うーん、そうですか…」

 執刀医は少し残念そうにその場を去った。

 だけど、その後ろに回した手に持っているドロッとした赤黒い固形物の入った保存袋を残念にも私は見逃さなかった。

「うーん、絶対あれだな…」

 幸いにも今日に至るまでレバーを普通に食べられるので精神被害は(たぶん)無いと思いたい。

 少々刺激的な始まりを迎えた後の冬休みは日中家にいる私が代わりに料理以外の家事しつつ勉強して読書していた。特にその時に読んだ

に味わったことのない衝撃を受けた。白地に黒の文字だけで描かれいるその世界は、容易に想像させといて、容易に騙して、容易に想像を裏切る。

 本当に面白かった。この経験のおかげなのか、国語は理科や数学に負けない面白い仕組みを持つ教科なんだと17歳になって、やっと理解できた。

 そして、その興奮を押さえられぬまま私は以前からやりたいと考えていた「大学受験ブログ」を学習障害を伏せて開設した。その理由もまた単純で、10年前は今ほど発達障害について、世間的に知れ渡っていなかったし、何より知的障害者に受験は無理だと言われたくなかった。

“普通の高校生が国立大を目指すブログ”

 そんなシンプルなあらすじでよかった。コメントは来ない、アクセス数も少ない、誰に気にしないで好き勝手に楽しく書いた(ちなみにそのブログ自体はライブドアブログと違うサービスで書いており、数年前にサービス終了でサイトは現存していないが書いた全記事はバックアップしてカテゴリー『古日記』として残している)。

 新年を迎える4日前に母が退院して、無事に家族4人揃って年末年始を過ごせた。

 


(次回に続く)

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【あとがき】

 本編の各こぼれ話。

『文化祭』

 ウチの学校にある釣り部は毎年文化祭に金魚すくいならぬ金魚釣りを催しており、この年に自分は小さい金魚を一匹釣りました。

 その後、我が家に迎え入れた金魚は第17話にも登場するあの水槽で飼われ、5年以上を過ごした結果、5センチ未満だった子が20センチ以上にまで成長しました。

 もうそこまで成長しちゃうと家族の認識も「鯉」として育てました。

 でもさ、見た目は赤金魚なんだよねぇ…。


『お見舞い』

 手術したおかげで母は今も元気に過ごしています。

 当時入院していた病院が家から徒歩で行ける所だったので、現状報告も兼ねて父と一緒に毎日通っていました。

 そして家事全般を任されていたのだが、ある日、洗濯するのを忘れてた事を出かける直前になって思い出しました。

 うーわー…何て言ったものかなぁ…。

 母のいる病室に着いて、

「何か変わったことはない?」

 と聞かれたので、

「(ええっと…)何もないよ」

 と返したら、

「洗濯物はちゃんと干した?」

 私は慌てて、

「あー…まだ干してない」

 と言うと、

「えっ、じゃあまだ洗濯機の中!? どうしよ…絶対臭くなってるよ。やり方分かる? 洗濯機の水を一旦抜いて、それで……」

 もう自白した。

「あぁ…いいです。実はまだ洗濯してないんだ…」

「してない? じゃあ何であんなこと言ったの?」

「み、見栄かと…」

 切除手術を終えて間もない母はベッドの上でめちゃくちゃ笑いました。隣のベッドまで聞こえるぐらい笑いました。切った傷口が開きかけるぐらい笑いました。

 次の日、いつもの通り見舞いに行くと昨日の話が病室内で大ウケしたらしい。

 だからなのか。この病室で過ごす患者さんたちがいつも以上にフレンドリーで優しかった。

 この失敗のおかげで誰かが笑顔になるん「だったら良いかー」と勝手に美談で終わらせました。

 家帰って直ぐに洗濯したけど、もう汚れが固まっちゃったものもあって困ったけど、それが自分の部屋着で「だったら良いかー」とそのまま着続けることにしました。

 まさか29歳になっても着続けるとは思いませんでした…。


『ブログ』

 当時のHNは「渡辺綿飴」ではなく「機械職人」という前名義で書いていました。

 由来は将来「機械の研究をする技術者(職人)」になりたいと願掛け8割を込めて名乗りました。

 では、なぜ改名したのか?

 この経緯もいずれ記事として書く予定です。

 また今回および今まで当ブログに出てきた(自称)独特な文章表現の基礎は上の小説家3名と、その後に出会う

などの脚本家と音楽家の影響から構成されてます(自称)。

Q.じゃあ、いつになったらその師匠たちと肩並べるようになるんですか?

A.あと500年ぐらい続ければ足元までたどり着けると思います。その前に死んじゃう? それで良いんです。死のうが生きようがいずれ成功すると思ったほうが生きやすいんだからさ…。