正式にACT塾に通うことになって、再び私は再び受付嬢から番号札を受け取って、塾長がその部屋まで案内してくれた。どうやら担当する先生は理科Ⅰ類3年の男子大生らしい。その先生のいる狭い個室のドアを塾長が開けて一緒に入り、その担当の先生の顔を一目見て私は思った。
「(この人は日本人だな)」と。
前回の理論と同じで、直感で分かる日本人らしい顔だった。あと銀縁の細い眼鏡がいかにも理系らしくて好感が持てる。
「初めまして、渡辺綿飴と申します」
今回は塾長よりも先に言いきった。
「初めまして。では授業を始めようか」
ん…? いえいえ先生、お名前は? この塾は生徒に個人名を言ってはいけない決まりなのかな、理由は知らないけど。前回みたいにこっちから直接聞いた方が良いかもしれない。
「すみませんが…まだお名前聞いてないので教えてくれませんか?」
あえて言うのだからこれから言う台詞を脳内で練習したいが、カバンの筆記具も机に出さないといけない。二つのことを同時にできないLD(学習障害)の私はまず筆記具を用意した。
そのとき偶然にも先生が机に出していた束の資料の隙間に何故か先生の運転免許証が挟まっていることに気がついた。しかも先生からは死角の位置で本人はまだ気がついていない。
そうか、この運転免許証で先生の名前を知ることができる(普通に聞けばいいものを)。私は束の資料の隣にシャーペン置く名目でするりと覗いた。
そこには「木村根千」という街路樹みたいに木ばかりの字列が並んでいた。
えっ…?
あ、これなんて読むの…?
もちろん下の名前である。あいにく運転免許証の氏名欄には振り仮名などない。
“ねせん…?”
“こん…せん?”
“ねち…こち…?”
まったく分からない、どうしよう…。
なら、これはどうだろう。最初から私は何も見ていなくて普通に名前を訊ねる。つまり最初から何もなかった、要するに当初のプランでやればいいのではないか。
変に考えないで真正面から聞けばいいんだ。聞いても、いいんだよね…?
「それじゃあ今回から通うということで、体験の続きからプリント始めていい?」
「あ、え、はい、いいです、先生」
先生…先生…「先生」
呼びかたが決まってしまった瞬間だった。クラスメイトと同じで相手の呼びかたは第一声で決まってしまう。その通りで名前を聞く機会は結局なかった。
この塾の個別授業も15回目を迎えた。そして私は心の中で憤怒の念が噴出していた。体験期間も含めて授業が中学1年の英語プリントしかやっていないのだ。基礎は大事である、それはバカな頭の私でも分かる。けれど中学1年の英語プリントが全て終わって、また最初に戻って同じプリントをやって、また最初に戻って同じプリントをやるのはどうかと思った。
ここのプリントは市販の参考書をコピーしているから、せめて違う参考書も用意しても良いのに一向に参考書が変わることがない。
「違う参考書を1回ずつやるより、同じ参考書を2回以上やる方が効果的だよ」と前に読んだ勉強法の本にも書いてあったし、もっと分かりやすい『ドラゴン桜』にも似たような教訓が書いてあったから、そうだと言えばそうなのだが、ただ横にいてこの先生は解いたプリントを渡す度に参考書巻末の解答ページのコピーを取り出しては毎度解答を照らし合わせていた。
もちろん添削する身としては寸分の狂いもないよう気をつけたいだろうが、いちいち問題文の番号と解答コピーの番号を人差し指でなぞっていく姿はとても現役T大生には見えなかった。ましてや中学1年の英語である、解答コピーがなくてもパッと見れば直ぐに分かるであろう。自分は正しいと思っても参考書が間違ってると判断したら自分も間違ってると答える性格なのかな。間違えた解答には赤のボールペンでバツを入れて、コピーに書かれている正しい解答を書き写していた(そして私は毎度隣でその一部始終を見ていた)。
中身が分かったのは、プリントを答えている間の興味でふいに聞いた「教養学部ではどういう講義を受けるんですか?」について先生が「僕は工学部だよ」と答えたことだった。
T大学の学部システムは大変特殊で、入試の際は志望学部で受験するが、合格したら学部関係なく全新入生は前期課程としてまず教養学部に2年間在学する。そして文理の垣根を超えた基礎的な教養知識を身につけた上で3年生となって初めて後期課程の志望学部の学生となる。つまり私は大学1,2年のとき、どういう講義があって、どういうことを学んだのか訊いたのだが、まさかの返答だったので私はシャーペンを置いた。
「…先生ってT大学の学生ですよね?」
「うん、そうだよ」
「う、うん、そう、そうなんだよ! 実は猛勉強してね、前の大学から移ったんだ」
「そうだったんですかー! 以前はどこの大学に?」
「T海大学」
知ってる私立の大学だった。私の高校でも指定校推薦の受験リストとして載っている。
「ハハ、ちょうど1字違いですね。それにしてもスゴいですよ、T海大から3年次編入パスしたなんて」
「まあ相当勉強したけどね」
なぜ私がこのことを知っているのかというと、第1志望であるT工業大学の3年次編入試験が同じシステムだったからだ。T大・T工大だけではない、世間から高学歴と認められている国立大学はどこもそうなのだ。つまり他大生は国立大の大学院生になれても大学生にはなれないのだ、最初から始めない限りは。
「で、先生は今どこの大学に通ってるんですか?」
先生はボールペン置いて絶句していた。
「今どこの大学ですか?」
「T…T海大学…」
この返答に対し『私は激怒した』。
最悪だ。この人は学歴詐称していた。プリントと違うストレスにやられそうになった。ただ、そうなると塾長はこのことを知っているのか。知っているわけ、ないはずがない。ここの講師は全員がこの塾の卒業生だ。ならば合否の結果など必ず塾長の耳に入るはず。そうすると、答えは一つしかない。
「想像ですが、塾長からT大生と名乗るよう言われてますよね?」
「…うん。それに僕、推薦受かるためのテスト対策でここ通ってたからセンター試験も受けたことないんだよねぇ」
「そして受かったと報告したら、これを紹介されたと」
「履歴書も面接もいらなかったから。つまり、まあ、そういうことです。ごめん」
先生は謝っていたが、私は高校最後の夏休みを目前にしてACT塾を辞めることにした。事情を話したことで家族の承諾を得て受付に退会を報告した際、奥のデスクにいた塾長の阿久津さんからシンプルに「何で!?」としつこく訊かれたが、もうシンプルにあなたを信用していないのです。だから塾長、申し訳ないですが去らせてください。だからさ阿久津さん、手を引っ張らないで、シャツ引っ張らないで、ズボンも引っ張らないで。
平然な顔で塾のある雑居ビルを後にしたが、内心では清水の舞台から飛び降りる覚悟で駅に向かっていた。よその塾のカレンダーに基づけば来週には夏期講習に入ると思われるが、これからどうしたものか。それでもACT塾を辞めたことに少しも悔いはなかった。
ただ唯一の心残りをあげるとしたら……『根千』。何て読むのだ。
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【本日の参考文献】
2018-10-10
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【あとがき】
あとがき3日目。待たせたな最終日。
まず前提に言わないといけないのが、昨日と同様に人物名は仮名で、塾で出会った出来事や感情は全てノンフィクションでお送りしています。
ちなみに文中に出る先生の下の名前「根千」の読み方は「もとじ」です。自分が人生で出会った2番目に読めなかった名前(もちろん名字は架空)です。根千で「もとじ」、言われたら読めなくないけど、振り仮名なしで読むのは難しい…。
当時塾に通ってる間、携帯に住むグーグル先生に頼んで先生の読み方(実際の名前)を調べてもらっても相当特殊なのかコレという読み方は出てきませんでした。
キラキラネーム…というには奇をてらったような雰囲気はなく、それこそ萩尾望都(実は本名)みたいな誰もが知っている漢字かつ親が思いを持って名付けられたのだろうなと感じる名前でした。
そして、この記事を書く上で11年越しに再びグーグル先生に頼んでみました。そしたら一つだけ読み方がヒットしました!!
ありがとうグーグル先生!!!
ありがとう最新情報窓口!!!
長い時を経て、その明確化された読み方を目にして私は思った。
「自分が想像してたのと違う…!?」
それどころかその漢字の読み方でない読み方でした。だったら読めなくて仕方ないよねぇ…(本名を知らない読者はどういう顔して読めばいいのだ)。
とにかくこれで11年間に積み重なった呪縛の一つが消えました。まだ一つということはまだたくさんあります。もう自分の抱える呪縛でビンゴカード作って、一つ消すごとに穴開けて、タテ・ヨコ・ナナメ揃える毎に自分の欲しかったもの買っていい『おひとりさま呪縛ビンゴ大会』でもやろうかしら。
ええな、そのアイディア。
何か行動を起こそうとすると何か困難にぶつかります。
「本当の人間の価値は、すべてがうまくいって満足しているときでなく、試練に立ち向かい、困難と闘っているときにわかる」――マーティン・ルーサー・キング牧師(1929年~1968年)
職場でも問題が発生すると、その人たちの人間性が露呈しますよね。ああいう場面でブチ切れる人は雪山山荘の殺人で大ホール飛び出して3番目ぐらいに殺されて、サメ映画で1時間超えた辺りで浅瀬の死角から食われて、ゾンビ映画で主人公との最終決戦で蹴られて下にいる大群ゾンビの中に落ちるんだ。ああいう場面ほど因果応報が似合う場面はないと思います。たまにバッドエンドの映画に当たると画面前に「グアァァァ」と叫びます(『ミスト(2007年:アメリカ)』とか『ミスト(左に同じ)』とか『ミスト(左に同じ)』とか)。
日常の鬱憤を晴らすために2時間投入して結末最悪だから気持ちも最悪。人生の不条理を描いた系の文学性がなかったら余計に悪質。たぶんここまで読んだ人たちはそういう感情になってると思います。
1ヶ月以上待たされて長文3話の最後の最後がこういう内容ですからね、余計に悪質です。ということで更新頻度激落ちくんの私なりに考えたんすよ。
「過去編が更新できない日は普通に日常ブログを更新しよう」
実は今まで過去編しか更新しなかったのには理由があり、過去編をさっさと書き終わらせたい気持ちがあります。当初は漠然とした過去の嫌な出来事を(絵が壊滅的なので)文章で出来るだけ吐き出して気持ちの整理をしたい(あわよくば慰められたい)。そして前提を知ってもらった上で、私もまっさらな気持ちで本格的にブログを始めたい。そういう壮大な計画でした。
それがどうでしょう。今や記事1つ更新するのに1ヶ月以上かかっています。個人的にプロローグだと進めてたものが、このペースではいつ書き終えるか分かりません。このままでは庵野秀明(1960年~)の『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ放送開始が1995年、完結編の劇場公開が2020年予定)、もしくはゲーテ(1749年~1832年)の『ファウスト』(ゲーテが書き始めたのが20歳、書き終えたのが82歳。そして翌年死去)化しそうです。
もちろん芸術性追求ゆえの遅筆なのですが、あまたの偉大な先人に大変申し訳ありませんが…生産性低っ!!!
もう四字熟語に登録しても良いんじゃないですか『生産性低』。その脱却にも何かしらで毎日更新した方が読者と私、両者にとってメリットになると思うのです(当たり前だ)。
本当は私だって日常で出会った出来事、日々の中で感じたこと、読んだ本や観た映画の紹介や感想、などなどもっとブログに対して期待値下げて自分の好きなものを書きたい。ただ、いつになったらくるのか分からないものに待つのは諦めました。
(※しばらくポエム調が続くので省略)
似たようなことを先ほどのゲーテも言っていたので、明日から新しい月となる9月以降もよろしくお願い致します。
~~お知らせ~~
そうだ終わる前に…もうお気づきでしょうが、以前に比べてタイトルの話数(数字)が減りました。これは記事が減ったのではなく、前編・後編に分かれた記事を同じ話数表記に整理したためです。なので今回のように3回連続更新しても全て34話になります。
このようによそでは当たり前なことすら出来ていなかった当ブログを改めてよろしくお願い致します…!汗