「猫手(ねこて)」とは「(猫舌のように)熱いものを手で持つことができないこと。そういう人」という意味である。
主に出来立てのアツアツ料理を食卓に運ばないといけないときなど使われるのだが、こういうときよその熱いものを持つのが苦手な人は自分の手をどう表現しているのだろう。
特に料理運びなど刹那的なタイムリミットがある場合、モタモタすると命取りである。もし仮に犠牲の覚悟で持ったとしても、その暑さは皮膚を通り越して指の骨の髄まで火傷を味わうことになるのだ。神経が集中する指先が火傷するのだ。想像しただけでも恐ろしい…。
つまり猫手にとっての熱い料理は一種の戦いなのだ。まだラーメンみたいなどんぶり料理は比較的熱の少ない縁を持てば良いが、電子レンジでチンッとラップで皿ごと温められた料理はどこを持てば良いのか分からない。
「こやつ、死角なし…!」
もちろん猫だって同じだ。冬の猫が大好きな石油ストーブだって誤って熱せられた金属部分に触れたら人間と同様に叫ぶであろう。それほど切実な問題であり、だからこそ「猫手」は的を射た表現なのだ。
これから寒くなる季節に向かい、コンビニの肉まんやブリトーが美味しくなるが、あいつらは特に厄介だ。猫手にとって火傷する温度の間が一番美味しいのだ。あいつらが一番美味しい頃に私たちは触れられないのだ。冷めた肉まんを食べるときほど物寂しいものはない…(それが好きな人もいるが)。
よく「猫舌は熱い料理を食べるとき舌に置く場所が下手くそなだけで生まれつき猫舌な人はいない」というが、猫手の場合は指先以外に持つ部分など無い。
問題「指先以外で熱い料理を持ちなさい」
また猫手は生理現象なのだから日本中・世界中にいるはずだから、どこかにいる仲間に漠然と思いを寄せていた。そして不意打ちで仲間に出会った。
中学生くらいかアニメ『あたしンち』を見ていたら、熱いものを持つのが苦手なユズヒコが「俺猫手なんだよ」と友達に言っているシーンがあった。
まさか仲間がアニメにいたとは。これは原作に出てくるシーンだろうから原作者のけらえいこ先生が猫手仲間なのだ。自分達と同じ感性の人が他にもいたことは大変嬉しい。
ずっとガラパゴスの孤島(我が家)だけだと思っていたのが、遠い海向こうに巨大大陸(あたしンち)を見つけた感動は大きい。それ以降はまだ仲間を見つけていないが、きっと地球のどこかにまだ仲間がいることを信じている。
もし今読んでいるあなたが熱いものが持てない属の人間なら、あなたは自分の手を何と表現しますか?
私は年中冷え性なので、熱いものには基本鈍い。
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【あとがき】
自分とアニメのキャラクターが同じ感性だった場合、そのシンクロ率はほぼ100%でしょう。
だからもし自分とユズヒコが出会ってたら早めに友達になれたと思います。
でもこれがお母さんと感性がシンクロしてたらどうなってたんでしょう。
ハンギョドンみたいなビジュアルになるのかな…?