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好きと得意は別の話というか別の次元。

【-6- センス・オブ・ワンダー|ディスレクシア・カタルシス(6)】

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「きっと『センス・オブ・ワンダー』なのよ!」


 異常すぎる癇癪を起こす私を、母の友達はそう言った。

センス・オブ・ワンダー』とは……「(自然など)一定の対象に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉」(引用:Wikipediaより)

 この概念と言葉を考えたのは、1962年に『沈黙の春』で有機塩素系の殺虫剤・農薬「DDT(化学物質ジクロロジフェニルトリクロロエタンの略)」の危険性を訴え、人類で最初に環境破壊に警鐘を鳴らしたアメリカ人女性の生物学者レイチェル・カーソンである。

 毎年、夏の期間中に訪れるメーン州の海岸と森をレイチェルは彼女の姪マージョリーの息子である幼いロジャーと一緒に探索し、雨を吸った土の感触、満面に輝く高い星空、森や海から聞こえる風の音、虫や動物、植物が生き生きと暮らす姿、その美しい自然の数々とその自然に触れたロジャーの反応と出来事を、彼女は詩情豊かなエッセイとして綴ったのが『センス・オブ・ワンダー』である。

 そしてレイチェルは本書を通じて読者にこう伝えた。

「すべての子供が生まれながら持っている『センス・オブ・ワンダー』、つまり『神秘さや不思議さに触れる感性』を、いつまでも失わないでほしい。そのために必要なことは“私たちが住んでいる世界の喜び、感激、神秘などを子供と一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくとも一人、そばにいる”ことだ」

 次作に取り掛かっていた『沈黙の春』の執筆中にガン宣告を受けて、苦しい闘病の最中に書き上げた彼女は1964年4月14日(享年56歳)に死去。

 彼女の死去を受けた友人たちは、1956年の女性雑誌に一度掲載されただけであった『センス・オブ・ワンダー』を社会に広く伝えるために「遺作」として出版し、半世紀を経った現在でも世界中で愛されて読まれている。

 ……だいぶ話がそれたが、その風や日光に反応する私を、母の友人はこの『センス・オブ・ワンダー』なんだと言い、『豊かな感性を生まれもった子』として励ましてくれたそうだ。

 今までの事もあったので母は純粋に喜んだとのこと。もちろん当時の記憶などないし本当にそうなのか分からないが、小さい頃から自然は大好きだし、森や海や動植物に触れる瞬間の気持ちは今も昔も変わっていない。

 ベンチに座りながら五感に映る山々や海岸、街角に公園など、その場所に生きる独特の匂いに触れる感覚は自分の中では未だに健在である。

 きっとこういう姿を現代では「ベンチに座る怪しい男性」として、通りかかった知らない人を通じて警察に伝えられるのだろうな。

 ちなみに生涯独身で終えたレイチェル・カーソンであったが、1957年に肺炎で亡くなった姪マージョリーの息子ロジャー(当時5歳)を後に「養子」として迎えた。
 
 それから7年後、養母であるレイチェルも去った世界にて、友人たちの手で最後の本を作り、友人たちの手で最後に加えられた「後書き」の最後のページには、こう記されている。

“「レイチェル・カーソンはこの『センス・オブ・ワンダー』をさらにふくらませたいと考えていた。
 しかし、それを成し遂げる前に、彼女の生命の灯は燃え尽きてしまった。
 生前、彼女がねがっていたように。

  この本をロジャーにおくる」”

 この本は、当時5歳のロジャーの中に生きるレイチェル、そして5歳を生きたロジャーの中でレイチェルは永遠に生きていることを教えてくれた二人だけのタイムカプセルだった。

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【本日の参考文献】

レイチェル・L. カーソン
新潮社
1996-07-01
楽天ブックス

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【あとがき】

 この『センス・オブ・ワンダー』にまつわる話は中学生の時に母から聞いて、高校生の時に夏休みの読書感想文として(当時としては)力作に書いた覚えがあります。

 本は捨ててないので今でも読み返したいのですが、部屋の奥底へと旅立ちました…。

 当時書いた感想文も読み返したいのですが、返却も評価もされずに卒業しました…。