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好きと得意は別の話というか別の次元。

【-7- お・お・お|ディスレクシア・カタルシス(7)】

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 ここまでの私をまとめると「あああああ」と絶叫する異常な子供だった。でも3歳を過ぎるとさすがに違った。


 よちよちあんよで3歩進み(※当時3歳)

 全身の力を使い布団寝返り(※当時3歳)

 でも下半身の栓は閉められず(※当時3歳)

 なにより当時の私の大変お喋りで

「お、お、お」

 や

「お、お、お」

 や

「お、お、お」

 と、たくさん話していた。

 どうでしょう、明らかによその3歳児とは違う。

 何より、この繰り返す「お」とは?

 たぶん見当がつくかもしれないが、実は当時の私はこの「お」しか言えなかった。いや、正確に書くと『“お”に近い音』を発していた。
 
 ちょっと分かりにくいので朝の体操番組風に説明すると、

①まずは準備に猫背の姿勢~!

②次に、唇や声帯の力を目いっぱい抜きましょ~!(よだれが垂れそうなほど口をポカンと開ける)

③その状態で力を入れずに何かを発声!

④その声を断片的に出して!

⑤(イチッ)! (ニッ)! (サン、シッ)!

 それが当時の私の「言語」のすべて。
 
 もちろん我が家や地元のリハビリ施設とかで必死に言葉の練習をしたが、どんなにやっても回数も抑揚の使い分けのない「お」の連音しか言えなかった。

「パパ」
「ママ」
「お兄ちゃん」
「わんわん」
「にゃーにゃー」
「ぶーぶー」

 すべてが「お、お、お」

「おなか空いた?」
「ねむたい?」
「トイレ行きたい?」
「おもちゃで遊ぶ?」

 こたえは「お、お、お」

「あっ転んじゃったね! 痛くない?」
「ちょっと血が出てるじゃない!?」

 泣きながら「お! お! お!」

 周りからしたらこの子が何を言っているか分からない。私からしたら必死に伝えているのに何故か伝わらない。

 そのジレンマがピークに達すると私は癇癪を起こして、辺りの物を壊して、泣き叫びながら暴れた。

 しつこいが、この時点で3歳を過ぎてる。

 世間的に3歳児の代表格といえば、サザエさんの一人息子「タラちゃん」だ。『サザエさん』を観たことある人なら分かるが、タラちゃんは「普通の子供」だ。

 みんなと走って遊んで、自分の意志でトイレ行って、家族や友達とペラペラ喋る。これが私には出来なかった。言語能力の成長の異常に遅い。それなのに体ばかりはよその子よりも大きかった。それは目の前に体だけが大きくなる赤ちゃんがいるのように、日を重ねる毎にその異常性が吠える私をくるんでいった。

 あの時の専門医が診断した「知能が高い」は間違いだったのか。

 これは「障害」の一言で済むレベルなのか。

 私に関わった周りの人たちは皆そう思っていた。

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【あとがき】

 もし私がアメリカ生まれだったら、どうだったのでしょう。

 毎日「Oh! Oh! Oh!」と、ずいぶん愉快なチャイルドになっていたのでしょうか。

 そういえば私の祖父アメリカ人だったな。

 でも私の曾祖父母が明治時代のハワイにおける労働者確保として移民した純血日本人で、その間に生まれた出生地ハワイの日系アメリカ人の息子が日本に移住し帰化して日本人女性(第5話の祖母)と結婚したので、法律上では私はクォーターだが、血液上では私は100%日本人だ。

 というか私が生まれるずいぶん前にその祖父は亡くなっているので、名前は知っていても会ったことはない。家族の話だとハワイ人らしい年中アロハシャツのずいぶん愉快な人だったらしいから、やっぱり影響なのか。しかし最後まで日本語を覚えず英語しか話さなかったので、未だに英語が覚えられない私は少なからず影響を受けていない。

 つまり私のは、やっぱり日本語表記の「お、お、お」なんだな…。