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好きと得意は別の話というか別の次元。

【-17- 落下の法則|ディスレクシア・カタルシス(18)】

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 2001年。12歳。小学6年生。

 21世紀の始まりもあり世界中が希望に満ちていたが、9月11日に発生したアメリ同時多発テロにより世界中の希望は、あの高層ビルのように出鼻を挫かれる結果に陥った。

 一方、テロが起こる前のアメリカから遠く離れて、私の居たクラスはみんなとても仲が良かった。小学校最後の年もあってかみんなが笑顔で、何事にも団結して、お互いを協力していた。おかげで運動会もぶっちぎりの優勝を納めた。しかも担任の岩見由香先生が若くて美人で、今思い返せば平愛梨さんに似ていた。まさに理想を体現したかのような素晴らしい教室である。たぶん他のクラスよりも「平和」を強く意識していたと思う。

 平和は簡単なルール一つあれば生まれる。

 それは「共通の敵を作る」こと。

 いざ誰かが怒りや嫉妬に駆られても、みんなで決めた「敵」を殴る事で葛藤は消化される。そもそも「正義」とは敵を殴ることである。もし平和の下に正義があるならば、暴力とは平和の体現だ。その「敵」だった私にはそのように感じた。

 クラスの誰かが何かあれば私を攻撃する。クラスの誰かが何かなくても私を攻撃する。人の持つ邪悪な気持ちを私にぶつけることで、このクラスには平和と繁栄がもたらされる。

 平和なクラスが求めた一人の犠牲。

 学級カーストならぬ学級オメラスである。

 小学6年になって未だに言葉を話す兆しはなかったが、相手が何を言っているのか少し分かるようになっていた。スピーキングは無理でもリスニングなら可能の言語初心者が最初に得るスキルだ。それでも英文法で言う『SVO』ぐらいしか理解ができない。それでもクラスから何て言われているのか知るには十分だった。

「バカ」「アホ」「しね」「ころす」

 今なら適当に作り笑いなどして受け流せることも、当時はそれができずに言葉そのままを受け取ってしまった。

 その結果、怖くて泣いてしまった。

 この反応にはクラス中に何か変なものを覚えさせたのか、いじめは段々とエスカレートしていった。

 図工の時間で私が糸ノコギリを使っていたときに、誰かが私を後ろからドンッと突き飛ばして板を押さえてた人差し指が糸ノコギリに触れかけた。出血は無かったけど血圧と心拍数が上がった。そして後ろからヒソヒソと笑う声に目と息が震えた。

 その一部始終を見た図工の先生は「何やってるの!?」と私の顔を押さえつけた。

「何でやったの!?」「何でやったのぉ~?」

 すぐ横で他の生徒がバカにした声マネしているのに先生は横を振り向くことはなかった。きっと知ってるんだ、絶対。

 変に抵抗することなく、ただただ怒る先生の目を見ていた。

 そんな毎日であった。

 けれど、そんな状況下でも引きこもることはなく、毎日自らの意志で学校に通っていた。

 残念ながら勉強目的ではなく個人的な理由のために。

 当時、自分には好きな女の子がいた。しかも村八分をくらっているクラスの中にいた。でも彼女自身は、この村では珍しい二分側の優しい村人だった。

 ほんの少し前、ちょっとは自分なりに頑張ってみようと黒板の書き写しに挑戦してみたのだが、遅筆な自分には黒板消しのスピードには勝てなかった。

 そのとき、隣の席にいた勉強が得意な彼女が綺麗なノートをこっそり見せてくれた。

 あまりに突然で少し慌てたけど「(ありがと)」とおじぎしたら笑顔で返された。

 たったそれだけ。

 たったそれだけで私は初めて落ちることを知った。

 言葉でお礼を返せなかったが忘れられない大切な思い出だ。

 それから1ヶ月後の席替え以降も、私は教室の地下から気づかれないよう少しだけ見つめる。それだけのためにわざわざ毎日地獄へと飛び込んだ。今思うと気持ち悪い理由だったが、毎日出会えることが何よりも幸せだった(次の隣の子は八分側で何かと机を蹴られた)。

 事件が起こったのは、普通の平日だった。

 その日の昼休み、机に突っ伏しながら視界の端で彼女を見ていたら、突然視界が真っ暗になった。

 何かと思ったが、匂いですぐ分かった。

 安いガムテープの匂いだった。

 クラスの誰かがガムテープを使って私の顔面と両手両足をグルグルに拘束して、首には何かヒモ状の物をキツめに結び付けて、何も見えない状態で私を強く引っ張るから仕方なく飛び移動をして、喝采が飛び交う廊下に連れ出された。

ヒルオが捕獲されたぞ! すげぇ!!」

 ヒルオ(蛭男)とは当時の私のあだ名で、遠足のしおりに載っていた川辺にいる注意生物が私に似ているという理由で可決された名だ。

 教室に紛れ込んだ虫を捕まえた。耳から聞こえる群衆には一種のパレードにしか見えていなかったのだろう。

 視界が真っ暗な上に呼吸部分を塞がれた状態での飛び移動は見た目以上に心身をえぐらせるのに十分だった。

 どこに連れていかれるんだろう。考えるほどフタされた目元・鼻元・口元には水が溜まっていった。すると急に首のヒモが反対方向に引っ張られた。どうやらストップの合図らしい。

 突然どうしたんだ。

 それから間もなく後ろから腰を強く蹴られた。

 感覚だけの話だが、1秒の間だけ私は空を飛んだ。2秒後には何か鋭利な角で頭から足先まで全身殴られ、しかも回転イスに乗せられたように目が回り、首と体が違う方向に固くねじられて、5秒後には打撲と回転が止まった。

 自分の身に何が起こったのか見えないから分からない。だけど、何か斜め上の方向から大爆笑が聞こえる。

 すぐに理解した。私は階段から突き落とされたんだ。

 何とかしなくちゃ。でも全身が痛くて動けない。

 誰かが階段を下りる音がする。

 また落とされる。どうしよう。

「……なにしてるの?」

 それは岩見先生の声だった。ほかの人の声が聞こえないから、おそらくみんないなくなったんだな。本当に良かった。先生に起こされて、顔面のテープを外してもらった。そしたらテープの中で溜まった目と鼻と口の水が垂れた。

「うわ、きったない……」

 テープが外れて最初に見たものは先生の歪んだ顔だった。

 忘れてた。ここはオメラスだった。

 でも、これはさすがに大事すぎたのか、今まで先生たちから「中学に上げられない」と言われていたのがパタッとなくなって、普通に中学に進学できることになった。

 岩見先生と二人だけで何か言われたが、当時内容が難しくて理解できなかったけど、たぶん「大人の事情」ってやつだったんだと今になって思う。

 勉強ができなければ運動もできないし、宿題も提出物も出さなかった私の通知表はアヒルの行進ではなくアスパラガス畑だった。

 あと、これは当時誰にも言ってなかったが、その日から私は目がよく見えていない。

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【本日の参考文献】

1980-07-25
楽天ブックス
※短編『オメラスから歩み去る人々』収録
 
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【あとがき】

 この一件も含め、目が見えなくなったことも家族には言いませんでした。

 実は小学2年ぐらいのときに父が長年勤めていた会社が経営難をきっかけに上司と揉めて退職し(その1ヶ月後に会社は倒産)、そして兄は第一志望だった超難関付属高校に合格したのですが、授業料が全国でも3本の指に入る高額な所で、

「てめぇふざけるな学校辞めろ!」

「お願いします…お願いします…」

と父と兄がリビングで軽く揉めていたのに加え、父は日々仕事探し、兄は日夜バイト、母は私に関する障害養護の送り迎えと書類作業、これ以上、家族に迷惑を掛けたくなかった(今の方が迷惑かけているが…)。

 その後、父は無事に別の仕事を見つけ、兄はバイトと奨学金で大学を卒業して就職し、母も私のリハビリ修了と共に終了して、全てが丸く収まったのでご心配なく。

 私も後に眼鏡をかけるのですが、それはもうちょっと後の話。