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好きと得意は別の話というか別の次元。

【-18- ハツカネズミの教室|ディスレクシア・カタルシス(19)】

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 普通学級と同じく“大人の事情”で数年前の時点で今通っている支援学級は、私の卒業と共に廃校が決定されていた。

 いわば私が最後の生徒。

 そして中学での通級予定はないので、ここが伴先生との授業そしてリハビリ終了になる。

 今まで支援学級の話をあまり書かなかったので今回集中的に書くと、私が個別指導受けた教室は小学校みたいな事務的な雰囲気ではなく、幼稚園みたいな家庭的な雰囲気の6畳間で床は柔らかいカーペットが敷かれており、壁紙も刺激が少ない暖色系で統一されていた。たぶん生徒に不安を与えないための工夫だろう。色々と知恵が付いた今ではそう解釈している。

 だけど、こんなアットホームな教室に一つだけ似つかわしくない物があった。

 この6畳間の真ん中には大きいテーブルとイスが2つあり、出口に近いイスが私の座る席だった。そこから対面する形で毎回授業をするのだが、私から見て右側に横長の大きな鏡があった。6年間も同じ教室で授業を受けていたので開始数回目には疑問も抱かなくなったが、実は私が受けていた教室の隣には横長の大きなガラスだけがある狭い部屋があり、そのガラスからは隣の教室が全て見えていた。つまりマジックミラーだったのだ。

 私が授業を受けてる間、母はずっとこの部屋で私を見ていたらしい。

 そして、この部屋に入る人は家族や先生だけではない。学習障害を研究する大学や病院の関係者、福祉や障害者支援を重点に活動している政治家、時には文部省(現:文部科学省)や厚生省(現:厚生労働省)からの関係者などが鏡を通して私の授業を視察に来ていたとのこと。

 もちろん誰でも視察可能ではなく、前もって書類申請をし、伴先生と母の許可が必要なのだが、母は少しでも福祉関連の役に立てればと全面的に許可をしていた。

 何ともスケールが大きい話である。

 いくら何でも大袈裟すぎない?

 あなた何でこんなに注目されたの?

 こうなった理由として、そもそもこの支援学級自体が特殊な存在だったからだ。

 本来、各支援学級の管轄は各市の教育委員会なのだが、この特殊学級の管轄は特例の『文部省』。いわば「行政が運営する授業」なのだ。当時、中央省庁再編で変わる文部省には数年後の「学校教育法改正」が進む中で、ある議題があった。

「そもそも『学習障害(LD)』は知的障害なのか?」

 現在なら「知的障害(後の発達障害)」と当たり前に言えるが、情報が少なかった当時としてはグレーゾーンであった。

 一概に知的障害といっても一体どのぐらいのレベルなのか。

 ある特定の部分だけ学習困難だなんて少々都合が良すぎるのではないか。

 けれど医療先進国アメリカでは正式に認定しているではないか。

「障害」と認定するには数が多すぎないか(判定基準によっては国民の約1割が対象者になる可能性もある)。

 当時の文部省の見解として「全国数カ所に研究・査定も兼ねた支援学級を設置」し、その結果、重度学習障害者である私が文部省が決めた査定対象の一例として支援学級授業を通して、言動や成績など様々なデータを細かく調べられた。

 さらにLD(学習障害)を持つ子の大半はADHD(注意欠陥・多動性障害)、もしくは自閉傾向を併発する場合がほとんどなのだが、私の場合は検査の結果ADHDや自閉の傾向が確認されなかった。

 いわば「純粋なLD児」なのだ。当時としては併発のない純粋なLDはまだ全国でも数人しか確認されていなかった。もちろん本当は全国的に多く存在するのだが、今に比べて社会的認知も低かったせいもあり、こういう分野で病院に連れてくる親はほとんどいなかった。

 何もかもが情報不足で手探りの研究段階に私みたいな事例が出たので、重要なサンプルとして視察希望者が続いたわけである。

 10歳の時にまだ全国でも数台しかなかったMRIで私の脳活動を調べたいという国立大学の脳研究者の依頼で何回にも渡ってMRIで脳活動を調べた。その結果、私の脳は重度の脳障害にも関わらず全体的に活発に動いており、むしろ先生たち一般人と脳活動に差がないことが判明した。

 これは脳科学の常識を裏切るに近い事態であった。ここから先生が今まで調べたデータを照らし合わせた結果、「LDとは脳波では検知できない程の微細なシナプス断列による先天的症状の一種」ということが医学上判明された。

 この研究報告は重要資料として脳科学会を通して文部省と、LDに障害者手帳を発効するか悩んだ厚生省に渡った。

 そして度重なる会議と膨大な資料を通した最終判断は……

文部省
「LDは支援すべきほどの知的障害ではない!」

厚生省
「LDは手帳発効すべきほどの障害ではない!」

 つまり「「自力で頑張れよ!!」」と宣告された。

 必要なデータを収集して最終判断を出した文部省は、もう支援学級を持ち続ける理由もなくなったので最年少の生徒である私が去った後は当初の予定通り、廃校になった。

 そして6年に及ぶ支援学級も終了を迎え、伴先生は母に私の最終報告をした。

「綿飴君の10年に及ぶ言語リハビリの総合診断を報告します」

「はい」

「残念ながら綿飴君は言葉を一生理解できないでしょう」

 私は小学校を卒業した。

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【本日の参考文献】

佐々木徳子
1992-05T
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【あとがき】

 曖昧な記憶と情報で書いているので、後になって間違っていたことが判明したらすみません…。

 本編では対象になりませんでしたが、2005年4月に自閉症アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害学習障害(LD)・注意欠陥・多動性障害(ADHD)を持つ者に対する援助等について定めた法律『発達障害者支援法』が施行され、2006年4月より学習障害は正式に通級の対象となり、2007年4月から特別支援教育の対象になりました。

 そして2018年の現在では障害者手帳取得の条件も変わり、今まで対象外だった発達障害者も『精神障害者保険福祉手帳』を取得できます。