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好きと得意は別の話というか別の次元。

【サリンジャーに捧ぐのにうってつけの日 -- 映画評『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』】



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  監督:ダニー・ストロング
  脚本:ダニー・ストロング
  原作:ケネス・スラウェンスキー
ジャンル:ノンフィクション
 製作年:2017年
 製作国:アメリ
上映時間:109分
  評価:★★★★★
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【感想的な雑文】
 
 こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、今日どういう映画を観たいと思ってこの作品を選んだのか、その前に君がどういう趣味を持っていて今日に至ったのか、そんなつまらないことは僕には知らないし興味なんてない。だけど僕が映画館でチケットを買うために行列に並んでいる間、前の客たちが揃って『ボヘミアン・ラプソディー』をあげるのは我慢できないんだ。たしかにフレディ・マーキュリーは歴史に残る偉大な存在だよ。それは僕も認めるし、僕のウォークマンにも彼らのアルバムを入れている。ただ、まだ『ボヘミアン・ラプソディー』を観ていないだけで僕だけが疎外された気にさせられるのは納得できないんだ。電車で2時間ほどかかるIMAXのある映画館で上映が終わってしまったから観ていないだけなんだよね。それに現在、上映している歴史に残る人物を主人公にした映画はこれだけじゃない。今日、僕が観に来たのは『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』という歌とは別の言葉の世界に囚われた男の映画だ。
 
 1951年の発表から世界中の若者たちの心を熱狂的に離さない青春小説『ライ麦畑でつかまえて』の作者であるJ・D・サリンジャーの生涯を追った映画なんだけど、予告を見たときから映画館で観ようと決めていたんだよね。それまで『ライ麦畑でつかまえて』なんて読んだことないのに不思議とそういう気持ちにさせたんだ。やっぱり不思議だよね。だからブックオフ村上春樹翻訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を買って、この小説のすべてに初めて触れたんだ。
 
 小説の中で純粋で無垢な存在を愛し信じる17歳のホールデン・コールフィールドは、インチキな大人たちが作った社会の欺瞞に対して、読者に投げ語る形でアヒルのいない冬の池に一石を投じた。ここでいうアヒルに深い意味はないよ。ただ消えたアヒルたちが冬の間どこにいるのか、ホールデンが知りたがってただけ。もし誰かにホールデンってどんな奴か聞かれたら、そう答えることにしてる。あいつはそういう奴なんだ。みんなが呆れるぐらいにね。でもね、そんな孤独なあいつだけど、紙の向こうでは友達がたくさんいるんだ。
 
ホールデンは僕自身だ!」
 
 こんなふうにね。半世紀以上経った今でも世界中の若者に自発的に言わせているんだ。まったく参っちゃうよね。30歳を目の前にして多少のインチキを覚えた今の僕にはもう言えない台詞だけど、科学という神聖なるファインダーを通して塾と受験と社会の存在を忌み嫌っていた同じ17歳の頃を思い出すと、その台詞を言いたくて仕方なくなったよ。やっぱりホールデンは僕自身だと思うね。だからなのかな、残りのサリンジャーの小説も翌日には書店で全て揃えてしまった。でも、これは必要経費だと思うよ。彼の作品に感動したんだから。それにしても何で、何でこんなにも僕の気持ちが分かるんだろう。この小説を生み出したサリンジャーの生涯を知りたくなったから余計に行列に並ぶ今が楽しみなんだ。映画が大嫌いなホールデンには申し訳ないけど、これが今の僕の本当の気持ちなんだ。本当の気持ちにはインチキになれないんだよね。
 
 食肉加工の貿易業で財を成したサリンジャー家の息子ジェローム・デイヴィット・サリンジャーは様々な学校を転々としていたなかで、コロンビア大学の創作講座に参加したんだ。そのときの講師だったウィット・バーネット、ああ彼は文芸誌『ストーリー』の編集長でもあるんだけど、作家志望のサリンジャーはバーネットの授業に大きな影響を受けるんだ。そのおかげで短編の処女作『若者たち』が『ストーリー』に掲載されたんだ。そのときの原稿料はわずか25ドル、君が今読んでいる今日の外為レートで言えば約2695円だね。端から見たら1日分のバイト代にもならない金額なんだけど、サリンジャーにとって人生を決めるには十分すぎる金額なんだよね。だって夢が叶ったんだもの。これがきっかけで、サリンジャーは他の文芸紙にも掲載されるようになるんだ。
 
 その中でも1941年の著名な文芸誌『ニューヨーカー』に短編小説『マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗』の掲載決定は無視できないね。だけど、太平洋戦争の開戦で掲載は無期延期になったんだ。小説の内容が戦時中にそぐわないからって。まったく惜しいことをしてしまったよ。何でかって? この小説がホールデンが初めて登場する話なんだ。作家の分身とも言えるホールデンがね。結果的に『ニューヨーカー』に掲載されたんだけど、それは終戦した5年後の1946年なんだ。その5年の間にサリンジャーも色々あったんだ。ノルマンディー上陸作戦で激戦地のユタ・ビーチに上陸することになるし、出兵中の戦地で友人が目の前で頭撃たれて死ぬし、当時付き合っていた彼女が超大御所俳優と電撃結婚したんだ。最悪すぎて参っちゃうよね。だけど、戦地でもメモ程度の執筆活動を続けたおかげで新聞特派員として訪れていたヘミングウェイと知り合って、当時の彼の新作短編『最後の休暇の最後の日』が認められるんだ。辛口批評で有名な彼からの高評価は大変名誉なことだよね。でも、サリンジャー自身はヘミングウェイのバイタリティさには付いていけなかったんだ。それは後の『ライ麦畑でつかまえて』でもホールデンの台詞に出てくるからチェックしてみて。いつのまにか話が逸れてしまったね、ごめん。ヘミングウェイを差し引いても最悪な状況だったサリンジャー終戦した時には神経衰弱になったんだ。そのとき診療所で知り合った女性医師と結婚したんだけど、彼女ドイツ人なんだよね。元敵国の女性と結婚だなんて参っちゃうよね。
 
 1945年の帰国後は『ライ麦畑でつかまえて』の原型となる短編『僕はちょっとおかしい』が雑誌『コリアーズ』に掲載されたんだ。その翌年に『マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗』が掲載されて、ホールデンという存在を高く評価したバーネットの勧めで前2作を元に初の長編小説『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始するんだ。コネチカット州の片田舎に家を借りてね。あと、そのときには女性医師と離婚してたんだけど、神経衰弱の後遺症を引きずっていたサリンジャーには他人のいない環境がちょうど良かったんだ。それでもライ麦畑の執筆には相当手こずったみたい。才能の限界とか戦地のトラウマとか色々と戦わなくちゃいけなかったからね。けど、それも近所の公園で偶然知ったヨガを習ったことで精神統一に成功して、だいぶ執筆が進んだんだ。
 
 翌年の1950年、自身の短編小説『コネチカットのひょこひょこおじさん』の映画化『愚かなり我が心』が全米公開されたんだけど、これがまた近年稀にみる駄作だったんだよね。あまりの酷さにサリンジャーも激怒したんだ。当たり前だよね。それ以来、自作の映画化を許可しなくなったんだ。ホールデンが映画嫌いなのは、そういう経験があったからかもね。
 
 様々な経験を経て、翌年の1951年に『ライ麦畑でつかまえて』がやっと完成したんだ。当初は超大手の別社から出版する予定だったんだけど、上層部が気に入らなかったんだよね。「狂人を主人公にした作品は出版できない」だってさ。まったくふざけた話だよ。一瞬は路頭に迷ったわけだけど、話を聞きつけた中堅出版のリトル・ブラウン社から刊行されたんだ。世に出た後は保守的な文壇からは批判の嵐だったけど、それ以上に全米の若者たちから圧倒的な支持を得たんだ。社会現象とも言えるライ麦畑ブームは今でも続いていて、2007年に全世界売上部数6500万部突破、現在でも年間25万部が売れているんだ。僕らは文学史に残る偉業の真っ直中にいるんだね。本当に参っちゃうよ。
 
 一躍ベストセラー作家の仲間入りしたサリンジャーだけど、その栄光はあまりにも強すぎて、下に落ちた影は切れた電球のように暗かったんだ。元々感性が機敏なサリンジャーには見ず知らずの人たちが大量に集まってくる毎日に堪えれなかったんだ。ホールデンサリンジャーの分身でもあるから、ホールデンの気持ちを考えたら君だって分かると思うよ。挙げ句には帰りの夜道にライ麦畑を持ったホールデンが目の前に現れるんだ。幻覚とかイマジナリーフレンドとかじゃないよ、ライ麦畑に感銘を受けた熱狂的なファンがホールデンの格好で現れただけなんだ。ファンの気持ちを考えたら君だって心当たりがあると思う。サリンジャー本人だと確認できたファンは話しかけるんだ。
 
「何であなたはこんなに僕の気持ちが分かるのですか? 僕はあなたと話がしたい」
 
 作家冥利に尽きる嬉しいコメントだけど、サリンジャー自身は素直に喜べなかったんだよね。相手がコスプレイヤーだとか、ストーカー気質だとか、そういうの以前に他人を受け入れる余裕がもうなかったんだけなんだ。でもね、ファンはそういう事情を知らないから、お互いの気持ちが噛み合うことは微塵もない。
 
「君と話すことはない。それはフィクションだから……」
 
「何でそんなこと言うんですか。僕はあなたの小説に救われたんですよ。あんたもインチキなんじゃないか! 頼むから僕を離さないで……」
 
 どっちも間違ってない。どっちも間違ってないから余計に悲しんだ。サリンジャーだって本当は喜びたかった。救われた彼の気持ちを純粋に信じたかった。誰よりインチキを恨んでいたはずがインチキ呼ばわりされたからね。来る日も来る日も知らない来客と過激なファンの日夜パーティーサリンジャーの精神的な病状は日に日に悪化したんだ。これは少し後の話なんだけど、音楽家ジョン・レノンの射殺犯、アメリカ大統領ロナルド・レーガンの狙撃犯、女優レベッカ・シェイファーの射殺犯が『ライ麦畑でつかまえて』を愛読していたんだ。特にジョン・レノンを撃ったマーク・チャップマンは警察が来るまで歩道に座って読んで、法廷の途中に作中の一節を大声で読み上げるほどだったんだ。明らかに犯人が狂っているんだけど、以前から問題視されていた本書への風当たりはさらに強くなったんだ。ただインチキでない小説を書いただけなのに。サリンジャー自身だって、こんな事態なんか望んでいなかった。たとえ本人がどんなに望まなくても、結果そうなってしまうから、やっぱり悲しいことだね。でも、これは未来の話であって、今はまだ何も起こっていないから話の時間を戻して、サリンジャーは最終的にニューハンプシャー州の森林奥にある川沿いの土地を購入して、自耕生活を始めるんだ。徹底的に社会と縁を切るためにね……。
 
 とりあえず僕の話はここでおしまい。もちろん瞬き少なめで最後まで観たから話そうと思えば話せるけど、ここから先はサリンジャーの内省的な日々が続くんだ。とてもじゃないけど、これは本人でしか語れないと思うよ。ただ出来事を少しだけ話すと再び結婚して、一男一女を儲けるんだ。一見幸せそうに聞こえるけど、ただでさえ森林の僻地で不安だらけの子育てをしなくちゃいけないから奥さんは精神が参るんだ。でもね、サリンジャーはどうしたら分からないんだ。同じ屋根の下にいるのに疎通が出来ないって悲しいよね。あとね、数少なく信じた人から最大の裏切りをされるんだ。こんなに逃げてもまだ殺そうとするから人間って本当に怖いよ。
 
 それからのサリンジャーは「グラース家シリーズ」の第1作『バナナフィッシュにうってつけの日』を収録した短編集『ナイン・ストーリーズ』を発表するんだ。ライ麦畑を読み終えて直ぐに読み始めた作品だから、サリンジャーの口からバナナフィッシュの名が出た時は大興奮したよ。「バナナフィッシュ」ってどんな生き物か知ってる? 主人公のシーモア・グラースが作中で説明するんだ。
 
“「あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に入って泳ぐんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。ぼくの知ってるバナナフィッシュにはね、バナナ穴の中に入って、バナナを七十八本も平らげた奴がいるんだ」”
 何だか海中ステージで洞窟の中のバナナを取りに行くドンキーコングみたいだけど、至って真面目な話なんだ。じゃあバナナフィッシュはバナナをたくさん平らげた後はどうなるのか。
 
“「当然のことだが、そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね」”
 何だか井伏鱒二の『山椒魚』みたいな失敗談だけど、これって結構大事なことだと思うよ。猿が壷の中に入った木の実をたくさん採ろうとすると手が抜けなくなる話みたいに、先を考えないで贅沢しようとすると必ずしっぺ返しがくるんだ。まあ、『バナナフィッシュにうってつけの日』も『山椒魚』も穴につかえたこと自体はきっかけに過ぎないんだ。大事なのは失敗に対して、どういう行動を起こすか。サリンジャーもまた失敗に対して何とか抗おうと動くんだ。この映画で一番の注目点はそこなんだ。
 
 正直に言って、サリンジャーにはもう手段がないんだ。いっそのこと自殺したほうが人として賢明じゃないかと判断しかねないほどにね。しかし、そうはしなかった。ここで彼は最終的な解答を出すんだ。煽てにも普遍的ではない、今の自分、これからの自分にとって必要な解答を出すんだ。それこそ歴史上に残るサリンジャー最大の謎の答えなんだ。今は何でもネットで情報が得られる時代だし、サリンジャーの半生を知りたかったらWikipediaでも見れば10分で知れる。けどね、そんな情報はハリボテの看板でしかないんだ。君だって本当は知っているはずだよ? 教科書に書かれている情報ほど世の中につまらないものはないことを。たとえば同じ世界史でもウィリアム・H・マクニールの『世界史(中公文庫)』は読んでいて、すごくワクワクするんだ。書かれている情報は同じはずなのに、向こうは強い衝動を感じる。それがストーリーの持つ偉大な力なんだ。
 
 これはサリンジャーという一人の男の生涯の物語であり、サリンジャー自身が人生をかけて証明した“ストーリー”の物語でもあるんだ。僕が予告に惹かれたのも、彼のストーリーに触れたからかもね。そんな映画を見た日はきっと、僕がこの記事を書いているように、その人にとっての「サリンジャーに捧ぐのにうってつけの日」だよ。それはインチキじゃないから信じて。まだ信じられない? いやまったく、君にも一目見せたかったよ。
 
 どうやらまた喋りすぎたみたいだね。今度こそ僕の話はこれでおしまい。いったん喋りだすと止まらなくなるんだ。別に深い理由はなくて、ホールデンが嫌いな世界のサリンジャーの姿がやけに沁みた、というだけのことかもしれない。だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしない方がいいぜ。そんなことをしたら、たぶん君だって、誰彼かまわず懐かしく思い出しちゃったりするだろうからさ。
 
 
【参考・引用文献】
 
◆『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』パンフレット
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【本日の参考文献】

ルーシー・ボーイントン
2019-07-10
楽天ブックス
 
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【あとがき】
 
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 わざわざライ麦畑で使われた口語の文体を用いてまで長々と感想を書いたのに、実際の観終わった後はこれぐらい淡泊です。劇場を出た顔はポーカーフェイスですが心と脳は暴発寸前まで過熱化されてます。
 
 まあ語り合う相手がいないから知らない人の道を歩きながら先ほどみたいに喋り出す方が明らかにヤバいですが…苦笑
 
 むしろ時間を置くことで、今回観た映画の簡潔なあらすじ、見てほしい注目点、伝えたいメッセージが脳が冷めた状態で分析できて、今回のような記事を書けるんだと思います。これでも冷静なほうです。人生で一番好きな『ドラえもん』を思いつきで書かせたら広辞苑六法全書を合わせて50倍にさせた文字量になると思います。それで生涯が終えるのなら本望です。ラブ・イズ・パワー・イン・永久機関です。これが私が普段ネットに感想を書かない理由です。とてもじゃないが扱いにくいでしょ。
 
 そんなこんなで、またもやお久しぶりです。
 
 1週間のお休みのはずが1ヶ月になりました。まるで気分は再び地上に降りた浦島太郎です。とはいえ、とはいえ、おかしいぞ。まったく実感がないぞ。自分の周りだけ時間軸がおかしいのじゃないか…?
 
 自分のこの1ヶ月の出来事を振り返ろう。
 
 まず1月の中旬頃に1泊2日の旅行に行ったんだ。それで紀行記を書こうと思った矢先にインフルエンザA型にかかって7回休み(地球では7日に当たる)になって、完治したから執筆に戻ろうとしたら紀行記の前に書きたいネタ(1回分)があって、それが5日かけてもスランプから抜け出せなくなって、気分転換に復習も兼ねたライ麦畑を再読して、それで映画を観に行ったんだ。それが先週の火曜のことで、映画があまりに感動したから今日まで感想を書いたんだ。うん、累計したら1ヶ月ぐらいになるな。良かった、自分は地球人だった。
 
 さて、これほどまでに書いたサリンジャーの記事ですが、自分のサリンジャー歴を告白したらまだ2ヶ月も経っていないレベルです。ランクで例えたら映画のキャッチコピーによくある「何かが起ころうとしていた」すらまだ起きていない勾玉の胎児クラスです。もしかしたら1年後の今日、寝返り程度に何かが変わっているかもしれませんが、今のところ元号と消費税が変わった未来しか見えません。みんなが一斉に受ける未来は未来ではありません。ただの決定事項です。決定事項にときめくほど人間は単純に作られていません。
 
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 個人的に思う未来とは、上の写真みたいに1年前まさかサリンジャー全作(右の縦2冊はパンフレット)を集めるとは思いもしなかった、そういう良くも悪くも予想しなかった事態に未来を感じます。志望の学校に入学した・志望の職種に就職した、こういうのはその人自身が物凄く頑張った結果の出来事なので未来に見せかけた予定です。努力したけど叶わなかったのも残念ですが予定です。何もしなくて叶わなかったのは因果応報です。何もしなくて叶う人は言語道断です。裏口合格ダメ。ゼッタイ。
 
 さてさて、今回出てきたサリンジャーの作品たちですが、その半分以上はつい最近まで読めませんでした。主に下記の作品は。
 
◆『若者たち』
◆『マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗』
◆『僕はちょっとおかしい』
◆『最後の休暇の最後の日』
 
 なぜなら雑誌に掲載されただけで、まだ書籍化されていないから。
 
 現在サリンジャー作品で公式に書籍化されているのは、
 
◆『大工よ、屋根の梁を高く上げよ / シーモア-序章-』
 
の、わずか4冊だけです。
 
 それ以外の未収録短編・中編は掲載された雑誌が権利を持っているのですが、掲載された雑誌が全てバラバラなので、新しく作品集を出すのは難しい状況下になっています。まさか短編1作だけで出版なんかできませんので、現時点では当時の雑誌を読むしか手段はありません。
 
 ただ英語圏以外の国では事情が違い、その所有する出版社から翻訳版の出版権を買い集めることで、日本でも大全集みたいな何種類かの形で出版されました。しかし、それも大昔に小規模出版したせいで世間に出回ることもなく、マニアックな古書店か規模の大きい図書館でないと見かけない代物になりました。
 
 そんな中、文庫版のサリンジャーを出版する新潮社が昨年の6月(約半年前)に、入手困難な短編9作を集成した作品集『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる / ハプワース16、1924年 (訳:金原端人)』を復刻出版しました(先ほどの写真で言うと左側の下にある本)。
 
 表題作である『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる』を含めた6作、
 
◆『マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗』
◆『僕はちょっとおかしい』
◆『最後の休暇の最後の日』
◆『フランスにて』
『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる』
◆『他人』
 
が、『ライ麦畑』のホールデン登場の連作(『最後の休暇の最後の日』以降は別のキャラクターの視点から20歳前後のホールデンが描かれている)。
 
 デビュー作も含めた短編2作、
 
◆『若者たち』
◆『ロイス・タゲットのロングデビュー』
 
 もうひとつの表題作、
 
◆『ハプワース16、1924年
 
が、『バナナフィッシュにうってつけの日』の主人公シーモア・グラースが7歳の時に書いた手紙という形で綴られる中編小説(この作品を最後にサリンジャーは死ぬまで長い沈黙生活に入る)。このような構成となっており、書いた当時の彼の心境が作品を通して感じるので、過去全作読んだ人や映画見た人に本当にお勧めしたい本でございます。
 
 とりあえず書きたいことをすべて終えたら、私は今どこにいるのか分からなくなりました。どうやらここらへんが今日の終了のようです。晩年のサリンジャーのように沈黙に入ります。
 
 はて、次の更新はいつになるだろう。なるべく早く、略して「なる早」で目指します。